情熱の使い方

理想と現実の最適バランスを狙う究極のマーケティング

見栄にこだわっている人は、往々にして毎月厳しい支払いに追われている。

今回は経営に関する記事です。

会社を経営するようになると、日々新しい気づきがたくさんあるわけですが、その中でも比較的『大きな気づきになったなあ』と僕自身思ったのが、

会社や自分の見栄にこだわっている経営者は往々にして毎月厳しい支払いに追われている。と言うことです。

自分で事業を立ち上げようとする人と言うのは、そうでない人と比べ、比較的目立ちたがり屋であることが多いように思いますが、その目立ちたがり屋と言う性格が経営に反映されすぎてしまうと、、、、

毎月の不要なコストが増えていきます。

例えばありがちなのが、

『自分の城を持ちたい』

と言った類の欲望です。

多くの経営者と言うのは、自分のビジネスの城を持ちたいと考えている事が多いようです。

やはり事務所となる建物を持っていると周囲の人々にも格好がつくし、しっかりした雰囲気が漂うので、大きくてかっこいい事務所を契約する経営者は珍しくありません。

でも、よくよく考えてみると、そのカッコいい事務所で行われている業務は、全て自宅で事足りることだった、、、、なんて事はよくある話。

自営業を始めると、プライベートと仕事の区分と言うものが曖昧になっている事もあるので、『どうせ使うから』と言う理由で結構いろいろなものを購入してしまいがちになります。

例えば高級車に乗ったり、ブランド物で身を固めてみたり、

小さなかっこつけの積み重ねが気がつけば大きなコストとなり、会社の経営に重くのしかかっている。そういった事は珍しくないどころか、僕の周囲を見渡すかぎりで言えば、そういう事態に陥っていることの方がむしろ多い。

僕らのように自分で事業をやっている人間が肝に命じておかねばならない事は、

物理的に存在し、目に見えるものほど毎月のコストが高いと言うことです。

このことを日々意識して経営を行なっていくだけで、毎月手元に残るお金は格段に額が変わってきます。

例えば、最近話題になっているZOZOTOWNの前沢社長なんかが良い例だと思いますが、彼みたいな人間に憧れて経営を始めてしまうと、まさに終わりの始まりだと思っています。

プライベートジェットを買って、Twitterでは『皆が笑顔になったから買ってよかった』なんてことを言ってはいますが、その同じ笑顔を作るのに彼が安上がりのバーベキューをすることはなさそうです。

つまり、なんだかんだ言って、ただの目立ちたがり屋であり高級なものが好きなだけ。

こういった経営者が会社のルールメイキングをすると、会社の固定費がひたすら上がり、そこで働く労働者やお客さんたちがそのツケを払うことになります。

もし、『経営者になって目立ちたい』みたいなことをあなたが考えているとするならば、いちど自分が一体どれだけ見栄のためにコストを払っているか?ざっくり見直してみることをお勧めします。

特に、僕らのようなスタイルの小規模な組織の場合、たった月々数十万円のコストでも、社内の雰囲気やサービス、そこで働く人たちの生活に大きな影響与えます。

経営者の見栄と言うものを切り捨てることができただけで、形が大きく改善することもあるし、

利益率の高い商売をしている組織は、実は、目に見える華やかなものを多く持っていない。そんな傾向があるのです。

新しい職場を探す人へ

最近、友人から『職探し』について相談を受けたので、そのことについて書いていこうと思います。

新しい働き先を見つけようとする時、ほとんどの人は大手の求人サイトにアクセスし様々なカテゴリーの中から自分が興味のある職種を選択し、面接に応募しますよね?

求人情報を見る際に、アルバイトであれば時給であるとか、正社員であれば月給は年収の部分を確認するとは思いますが、まず僕が最初にアドバイスさせてもらったのは、業界が同じならば、会社ごとにもらえる賃金というのは大した差がないことです。

これは以前にも別のレポートで書いたこともありましたが、労働者が受け取ることができる報酬と言うのは、会社事よりもどの業界のどの業種であるか?という要素の方がはるかに大きな影響があります。

どう言う事かというと、

例えば建設業で日当30,000円はあり得るが、カフェ店員で日当30,000円は不可能ほぼ不可能である。という様な事です。

こういったことが全ての職種で存在し、『この業界ではほぼほぼ経営者以外に高い報酬を得られない』と言う業界がたくさん存在するのです。

僕は1年間の半分をオーストラリアで過ごしているのですが、オーストラリアに住む日本人の中では、なぜかバリスタの資格を取うとする人が非常に多いです。

バリスタコースを受講してカフェ店員になりたい。バリスタコースで取得した資格を使って日本で働きたい。そういったことを考える日本人は多いようですが、『コーヒーが好き過ぎてたまらない』『コーヒーを入れる仕事以外したくない』と言う人でない限り、何なん十万円もかけてバリスタコースを受講するのはあまりにも投資効率が悪い。 

『カフェ』と言うのは。もともと利益率の高い商売ではないので、低賃金の労働者をたくさん雇用することによって成り立っている職場の方が圧倒的に多いのです。

つまり、良い待遇と言うものを受けたいのであれば、自分の好みだけで働く業界を決めるのは危険であると言うことです。『どこのカフェにしようかなぁ』と求人情報を眺めている時点ではすでに勝負が決まっていることがある。

どこの場所で働くか?
どこの業界で働くか?
どの業種で働くか?

職探しをする場合、報酬額に影響の大きいこれらをしっかりと意識して職探しはするべきです。この三要素がしっかりとハマれば、どこの会社で働くかと言うのはもうあまり吟味する必要が無いかもしれない。それほど重要な要素です。 



次の時代のルールを作る時代、実験の時代。

現在のような時代は『迷いなく生きる難易度が非常に高い時代だな』と、良く思います。 

それは、今という時代が前の時代と次の時代を繋ぐ転換期と呼ぶにふさわしい時期だから。

前の時代とは、このブログでもよく例に出してるような、良い成績を取り、良い学校に入り、良い仕事につく。そんなと暗黙のレールがぴしっときれいに敷かれていた時代です。

このレールの先に幸福が約束されていないのでは?と、多くの人が感じ始めた現在、すでに沢山の人が次の時代を模索し、動き始める様になりました。

このようにその時代を生きる人たちの認識がぴしっと一致していない今のような時期を、過渡期と表現したりします。

人は、何に取り組むにしても、ある程度周囲と足並みが揃ったお手本と言うものを欲しがる生き物です。

足並みが揃ったお手本を人々が持っていない、今みたいな時代は『迷わず突き進む』と言う振る舞いの難易度が非常に高くなる。

その一方で、『地図がなくても荒野に繰り出してみよう!』と言う勇気ある人々が、この道がいいんじゃないか?あの道がいいんじゃないか?と、

さまざまな実験を繰り返し、次の時代の生き方を模索していたりもする。

ルールなき時代に動揺している人もいれば、こうやって新しい挑戦をどんどん重ねて行く人もいる。それが、ここ数年の日本の傾向ですよね。

おそらく、あと1〜2年後には、この実験のしやすさがピークを迎え、非常に自由度の高い『何かを試す』には最高の時期が訪れます。


昔は全然違った。

僕が日本で様々な活動をスタートした10年ほど前は、まだまだ‘‘珍しいことをしている人’’と言う見られ方を多くの人からされていました。

そんな時期に、人とは違う生き方を始めようと言うのは、なかなか精神的なパワーが要求されたわけですが、ここから1~2年は加速度的にその抵抗感が少なくなり、本当にいろいろなスタイルの働き方を開発しやすくなるはずです。 

こういった時期を迎えるにあたって、『しまった出遅れた!』とあたふたすることになるのは、

いまだに複数の仕事を持つ人や、インターネット上で活躍する人たちを見て、

自分には関係のない特殊な事例である。

と、そんな認識を持っている人たちです。

例えば、最近増えてきた
複数の仕事を持つ人や、
ネット上で個人活動を行う人、

こういった人達はもう特殊な人々では全くありません。まだまだその数自体は多くありませんが、もはや‘‘特殊である’’と言うほど、出会うことが滅多にできない人種でもなくなってきました。

もう誰にだって、Youtuberの友人1人や2人くらい持っているでしょうし、会社を立ち上げるまではいかなくとも、個人でウェブサイトを作って仕事を受注し、生計を立てているような友人だっているでしょう? 

何が言いたいのかと言うと、

ちょっと前まで特殊な人と思われていた彼らは、もはや特殊でもなんでもないし、自分の選択肢の1つとしても視野に入れておかないと、

確実に変化に乗り遅れるぞ。と言うことです。

もうどんな働き方をしていたとしても、個人の能力として最低限のネットメディアの使い方位には慣れておいた方が、次の時代に適応しやすい。だから暇な時にでも訓練をしておいた方が絶対に良い。 


アルバイトの仕事

正社員の仕事

フリーランスの仕事


Youtuberもブロガーもラーメン屋さんも、全部生計が立ちさえすれば立派な仕事であると言うことを認め、認識し、

スキルアップと言う概念を広く取ること。

Facebookに投稿することも、
動画を作ることも、
文章書くことも、

以前は遊び、趣味の一環でしかないと思われていましたが、

若いビジネスマンがExcelを学ぶように、これらと同一のカテゴリに属する重要なスキルの1つになる。

若い主婦の方が子育て中にExcelを学んだり、タイピングの訓練をしたりする事はよく見る光景ですが、


その訓練の一環として、ネットで文章を書いてみたり、iMovieで動画を作ってみたり、写真を加工してみたり、

こういった一般の人とは無関係とまだ思われているスキルを重点的に訓練していく。これらはもう、

例外的な暮らしをしている人達だけが使うものではなくなりました。

歩みを止めたら最後

何のために自分の能力を高め続けていくのか?

昔から結構こういったことを考えることが多かったんですが、皆さんは日々どういった理由で努力を続けてますか?

これには人それぞれ色々な答えがあるだろうけど、俺が『やっぱりこれだな』と感じる目的は、

自分のこだわりや信念を守り続けるため。 

人にはそれぞれ自分なりに作り上げてきた信念や哲学があるでしょ?

自分の場合、子供の頃の僕はどんな人が好きか?と聞かれると、『自分の信念を持っている人』と言うふうに考えてました。

その理由は、多くの人が何のこだわりも無く、ただ‘‘楽な方に、ストレスのかからない方に’’日々を生きていることに『つまらん奴らだな』と、そんな印象持っていたと言うのが大きいのですが、

ここ10年で学んだのは、

信念をずっと守り続けるためには、非常に高い能力を備えていないと達成されないのだな。と言うことです。

例えば誰かが『自分の持っているお金はなるべく多くを人のために使いたい』と、そんな心がけ、信念を持っていたとします。

でも、もしこの人が毎月のご飯に困っていたとしたら、少しお金が入ってきたとしても、『これは来月のために取っておこうかな?』と、自分の財布の中身が減っていくのを恐れ、次第に人のために使えるお金は少なくなりますよね?たぶん、

こういった状況で、それでも変わらず‘‘他の誰かのためにお金を使える人’’がいたとしたら、それは『今はないけどどうせ何とかなるでしょ?』と、自分の力に信頼を持っている人くらいでしょう。

これはお金の使い方だけでなく、
お金の作りにも同じことが言えます。

例えば俺は『これは俺がやってます』と、堂々と周囲に誇れるような仕事以外は絶対に受けない。やらない。と言う強いこだわりがあるんですが、

もし自分に仕事を立ち上げる力やお客さんを呼ぶ力が無かったとしたら、、、

きっとどこかのタイミングで『あんまり気の向かない案件だけど今月は厳しそうだからやっておくか』と、徐々に自分のこだわりを妥協しなければならない様な、そんな機会も増えてしまうのではないか?

現在、『自分の信念にそむくような仕事はホームレスになってしねーぞ』と自信を持って言えるのは、ホームレスになる覚悟があると言うわけではなく、

様々なこだわりや縛りを備えながら生きていたとしても、自分には十分社会で戦っていく力が備わっている。という自信があるからです。

昔は良い人と評価される人や、信念のある人と言うのは、その人の性格次第で決まる。と考えてましたが、

大人になって気がついたのは、

良い人が良い人であり続けるためにはそれなりの能力が要求されるし、自分のこだわりを貫き続ける事もそれと同じである。

ということです。

自分は‘‘子供の頃から多くの信念を持っている’’という所が1つのアイデンティティーでしたが、『こだわりを守り続けるためには相応の能力が必要だぞ』ということが分かった以上、

常に余力を備えておくための努力をしなければ、いつでも1番大事にしていた‘‘自分らしさ’’というものを失う可能性があるわけです。

だからこそ、昔と比べたらずいぶん沢山の事ができるになったなぁと、自分を褒めたくなることも時にはあるわけですが、

足を止めたら最後だぞ。

と、そんな危機感を常に持ってます。

ピンチと言うものはこれからの人生まだまだ何度でも訪れるでしょう。でも冷や汗を垂らすような険しい道の中でも、

『俺はこのやり方でやっていけるはずだ』

と、常に自分らしい方法選択し続けていくために、もっともっと多くを日々学び続け、少しでも昨日の自分よりも自分の能力を上げて行く事に努めていく必要がある。 

人は、大人になればなるほど、自分の理想と言うものを徐々に外していくのだなと、最近はよく感じます。

子供の頃から社会に出て働くまでは、自分のこだわりや理想をどんどん育て確立させていきますが、社会に出て、働くようになると現実の厳しさにぶち当たると、、、

まぁこれくらいはいいか。

まぁ、これくらいはいいか、、、、

と、徐々に育てた理想や信念を捨てていき、気がつけば、

電車で隣に座っている見知らぬ人と、端から見れば何も変わらない人になっている。 

でももし彼等に、

今みたいに厳しい時代をも余裕で生き抜いていく力があったとしたなら、

若い時代に作り上げてきたその個性というものを捨てずに、今でもその人らしさを存分に発揮した生き方をしてるんじゃ無いでしょうか。

俺が『大人こそもっと多くを学ぶ必要がある』といつも考えてるのは、別にこの社会の中で富むためではなく、

自分らしさを失っていくこの社会の中で、

明らかな自分らしさを絶対に何が起きても失わねーぞ。

と思っているからです。

情熱を諦めるな。根性論じゃないそれでうまく行くから。

気づいている人も口にしないこと。

今、YouTubeやブログやFacebook等のSNSで活躍している人たちを観察して見ると、血も涙もないお金に対して合理的に動く人たちがメチャメチャ多いということ。

普通の人たちよりは少し頭が良く、なおかつ倫理観と言うものを一切排除してアクセスを稼ぐために合理的に振る舞える人。そういう人達が情報の扱いに疎い人達を集め、その注目を現金に変えている。

ネット上で活動している人たちなら、結構な確率で気づいていますよね?

全く思ってもいない文章を広告で書けるライター。
とにかく目立てばいいと倫理観の一切無い炎上コンテンツを使ってアクセスを稼ぐ人。

箇条書きにすれば6万行くらい書けそうですが、まぁそれはいいとして、

こんな彼らの活躍を見て、新たにネット上で活動を始めようと思い立った人達が『ああやれば良いのか』と、また彼らの真似をして、全く存在価値のないクソ事業が増え続けてしまう。

そんな彼らのメインの収益となるビジネスモデルは、アクセスを集めたサイトび広告を表示させるタイプのものが多いわけですが、あんなもん全然真似する必要ないですからね?

というか仕事として行うならば、換金効率も非常に悪く、多分相当なトッププレーヤー出ない限りはご飯食べていけないんじゃないですかね?

にも関わらず、なぜこのような収益モデルを皆して行なっているのか?

それは、彼らのファンのメイン層が、学びも働きもせずただ日々をダラダラと生きている最下層の人たちだからです。

自分の個人性を売れない人は、暇つぶしコンテンツか、ググれば一発で出てくるレベルのお役立ち情報くらいしか世の中に出せるものがありません。

当然、そこに集まるのはお金を持たない最下層の人々な訳ですから、せいぜい広告をクリックしてもらうことぐらいしかアクセスを現金化する手段が無い。

という事は、このブログの読者の前提である『何か特定の分野で情熱を注いでいる人』は、世の中に胸を張って提供できる価値を沢山保有しているはずですから、アクセス集めに走る人たちの手法を参考にする必要は全く無いという事です。

具体的には、毎日100〜500人くらいが見てくれるホームページを作る事ができれば、1000%ご飯には困りません。

僕はほぼ全ての仕事をブログから獲得していますが、ブログのアクセス数なんて10年変わらず1日あたり10〜30くらいですよ(笑)

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ここ数日は、最高36ですね(笑)

日々数百のアクセスがあるのにごご飯を食べることすらできないのなら、それは単なる暇つぶしコンテンツか、誰にでも出せる程度の情報を撒き散らしているから。

アクセス争いの頂点を撮りたいのなら、心を捨てて合理的にやり続ける必要がありますが、自分が生活していくだけの所得を得るための活動と捉えれば、アクセス争いの頂上を獲得する必要は全く無いです。

例えば最近流行りのYouTubeを考えて見ましょう。

Youtubeチャンネル登録者数を考えると、チャンネル登録者100,000人以上は持っていないと『上位の発信者』とされる事は無いですが、『暮らせるだけの所得を得る』と言う目的で発信を行うのであれば、チャンネル登録者数なんて1000人もいれば充分です。

だって自分の活動に対する支持者が1000人もいるってことですよ??これで飯食えなかったら『どうなっとんじゃ??』って話ですよね(笑)

だから、インターネット上で何らかの仕事を獲得しようと思った時、アクセス数トッププレイヤーたちのコンテンツを参考にして、『あんなことをやらないとダメなのか、、、、』と、思う必要は全くありません。

あいつらはあいつら、俺達は全然違う。

自分の信念や情熱、本音を譲らなくていいんです。俺達の本当に思っていること、やりたい事を、遠慮せずに発信すればいい!

たった数100人から1000人位の仲間がいれば良いんです。アクセス数トッププレイヤーの真似をしなくても、これくらいの人数であれば、アクセスに合理的にならなくても、ちゃんと集めることができます。

というか、最近そこら中に撒き散らされている、『〇〇やってみた!』とか、『おすすめ〇〇5選!!』とか、何の個性も価値も無い活動をやっていて、一体何が楽しいのか俺にはよくわからん。

『え、お前そんな猿真似コピー人生でいいわけ??』

ってね。

いいですか!!ネットは、気の合う人たちが勝手に集まり集団となっていくという特徴があるんだから。 

何らかの価値観や主張を発信し続ければ、それがどれだけ王道から逸れた考え方だとしても、必ず『それ私も思ってました!!』と言う人があなたのコンテンツにたどり着き、応援してくれます。

世の中はとても広い。これだけ大量の人がいれば、誰からも一切共感を受けない価値観や考え方なんて、ほぼほぼ存在しないと言っても過言じゃないです。

『こいつ頭おかしいだろ??』と思ってしまうような発信をしている人たちにも、その人が本気なら必ず一定数のファンがついている。

だから、『〇〇やってみた!!』とか、みたいな発信は、何の情熱も信念もなく、ただお金が欲しいだけの人達に任せておけばいい。彼らに一生やらせておいて、

俺たちはその信念を曲げずに、本当にやりたいことからブレずに本音で発信し続けましょう。別の記事でも書いたけど、結局それが一番最高の活躍場所を俺達にもってきてくれるんだからね。

俺達に大きなサプライズ、チャンスを運んでくるものは、『夢中になれるモノ』に他ならない。

近年、新たに登場しているWebサービスのほとんどは、‘‘個人の持つ優れた能力を市場に出そう’’というものばかり。

僕はこの変化を非常に歓迎していて、『もっと早く進めよ!』とワクワクしています。

理由は、この流れが進むことは、お金のためだけに存在しているようなクソサービスが、情熱ある優れたサービスに居場所を奪われることを意味するからです。

数年前までは、優れたサービスを持つ個人でも、ブログやFacebookをうまく活用できなければその価値を市場に流通させる事は難しかった。優れた商品の保有者の前に、‘‘インターネットマーケティング’’というなかなか高いハードルが立ちはだかっていました。

でも、最近ではこの壁が徐々に取り除かれつつある。

それは、僕等がネット上で活用するインフラ自体に『良いものをより見つけやすく』という仕組みが備わり始めてきたからです。

はじめは厳しいスタートを余儀なくされたとしても、情熱、商品力、根気強さによってその壁を突破できるようになってきた。

様々なインフラが整ったこの先、予想される次なる変化は、よりスムーズに本物のスキルを持つ個人とお客さんを出会わせるシステムが増えていくという事。

マーケティングスキルの有無に限らず、優れた商品の元へは自動的にお客さんが流れるようになるはずです。

つまり、営業戦略ではなく、どんどん商品力自体での競争になっていくって事。僕は、『これはサービス提供者の情熱を競う大会って事だろ?』って捉えています。

まぁ、少なくとも『ネット上に自分の商品情報を出し続ければ』って言う条件はつきますが。けれど、その難易度はどんどん下がっていきます。ある程度の発信技術を学び、実践さえできれば十分。

もっとも要となるのは、提供者の情熱。


2018年のキーワード、ネット市場の加速

そういえば、今年は副業元年なんて言われているらしい。とりあえず本業と副業の区分は何処にあるのか?というのは脇に置いて、確かに『インターネットを使って新しいチャレンジを始めるなら今年かな』というタイミングが2018年です。

日本の雰囲気的に、『ネット上の商売』への抵抗感が一気に薄れたのが、2017年でした。これは、テレビに出演していた有名人達がこぞってインターネット市場に手を出し始めたというのが引き金です。

そしてとどめは2018年の元スマップメンバーの参入。ユーチューバーになった(笑)

有名人がネットに参入しまくった事によって、『ネットはテレビの2軍』と言ったような評価が一気に破壊され、『ネットもテレビも一つの手段』と、テレビと並列した存在として認知される様になりました。

誰かがネット上でなんらかの活動を行う事は、なんて事はない普通の活動へと認識が変わった。

2017年は『ネットに対する偏見の破壊』
2018年は『加速』(自分もマネしよう!って人が一気に流れ込む)

2017年ごろはこういった予想をしていたけど、スマップの参入によって、その加速のペースは予想よりもずっと早くなるかもしれません。


そんな中で僕等を大変身させるのは、情熱ある趣味や活動

こう言った時代の上でスポットライトを浴び、輝かしい光を放つのは、紛れもなく個人の情熱ある趣味や活動です。企業なのか、単なる個人なのかという偏見が取り去られた市場の中じゃあ、お金のために働いている集団(殆どの企業)なんて、情熱ある個人の相手には全くならない。

日々の充実感、世に貢献しているという実感、仕事の楽しさ、所得面、全てにおいて情熱ある個人に軍配があがる。(規模というよりも、個人が要であるかどうかが重要)

そういえば、ドラゴンボールの主題歌に『夢中になれるものがいつか君をスゲーやつにする』という言葉がありますね?

この時代、まさにその言葉がぴったりと当てはまる。今後次々と生まれる新たなインフラは、個人の情熱を発掘し、スポットライトを当てるモノが優先的に広がっていくから。

僕等が今の日常に変化を起こそうと思った時、インターネットの構造を考えればやはり『夢中になれるモノ』こそが救世主、変化の起点となる。黙って好きな事を磨いておくと、将来必ずいい事が起がある。これは『かけても良い!』というほどに、強い確信を持っています。